視覚を閉じる大事さとクリエイター気質の保持

 視覚以外を使うように心がける。視覚を使うときは集中しているときで、それ以外はリラックスしているときだと思う。視覚を使いすぎると顔が怖くなってしまう気がする。仕事に集中していると眉間に皺が寄ってしまう。笑顔がなくなってしまう。パソコンを見る作業が多くなっているからかもしれない。人を寄せ付けないオーラが出てしまっている気がする。人に気軽に話しかけられるように心がけたい。笑顔であったり雰囲気であったり。

 grapevineのライブに行って、非常にいい時間を過ごした。久しぶりにお酒を飲んだ。普段は飲まない分だけ、こういう時に飲むビールがとても贅沢に感じる。おかげなのか、感覚がより鋭くなっていた気はする。ライブに行くときは、なるべく頭を使わないようにしている。コックピットを頭から心臓に乗り換えるイメージ。胸や腹を意識して聴く。体全体で音を受け止めるように。目を閉じることも多く、半分くらい目を閉じていた気がする。目を閉じて視覚以外を使って音に触れる。音に合わせて手を動かす。まさに音に触っているイメージ。これ以上ない贅沢な時間だと思う。

 こういった機会はすごく必要で、非日常を感じることが大事なのだろう。忘れがちになってしまうし、忙しいと後回しになりがちだけど、きっと意識して取らないといけない時間なのだと思う。クリエイター的な面や、アーティスティックな面を大事にしてあげよう。自分の中でとても大事な部分で、愛でてあげないといけない。仕事では使わないけれど、自分を作り上げているとても大切な部分だと思う。自分自身が守らないとなくしてしまうかもしれない。照れることなく、自分の核であることを心に刻もう。

慌てることを味方にし、できないことを追わないように

 あえて慌てるようにしてみる。これまで自分は慌ててしまうことを悪いことだと思っていた。みっともない姿になるし、できも悪いものになってしまう気がした。ただ、落ち着いてやろうとすると、とりかかりが遅くなってしまう。変に時間をかけてしまい、生産量が少なくなってしまう。それであれば、慌てるようにまず自分を仕向けて、そのあとのフォローを厚くしたり、肝心なところは集中力をたかめるなどの方法をとるのがいいのではないか。今はそう考えている。昔は脳は冷静に、体は急いでと考えていたが、今は逆に、脳を慌てさせて、体を落ち着かせるというやり方でどうかと考えている。

 きっと慌てているときに自分は嫌いじゃないのだろう。そのことに集中できているのは確か。頭の中がそれだけになっているから。達成感をかんじる。生産量も多く、これだけのことができたと思えるのもあるのだろう。

 頭の回転が早いというか、いろんなことが思い浮かんでしまう。それゆえに焦ってしまうところはあるが、それをメリットにしていくしかない。人とは違うところはうまく生かしていけばいい。できないことで勝負するのではなく、できることややりたいことを伸ばしていこう。それを役立てるのは戦略であったりプレゼンであったり。要はやりようによっては、頭を使っていけば、自分のできないことを無理に埋めなくてもいいのではないだろうか。自分が持っているものは、他人がもっていないもの。そこに自信をもてばいいいのではないだろうか。羨んで自信を無くすのはやめにしよう。うまく生かせば、多くの人が喜んでくれるはず。そのためには頭を使わないと。勉強するのは嫌いじゃない。これも一つのいい特徴であろう。

ベランダの一時と浸る音楽

 ベランダで過ごす時間が好きだ。ベランダに椅子を準備し、ヘッドホンで大きめの音量で音楽を聴く。それが至福の時となっている。家の中では同じようにしても集中ができない。部屋にあるほかのものが目に入ってしまったり、家族の音や存在が気になってしまったり。それがベランダであれば音楽のみに集中ができる。

 そして空の変化も面白い。急激に変わるわけではないが、見ていて飽きない。時間帯を変えたり、座る向きを変えたりしている。ベランダが深めに作られているので、座って音楽を聴いている様子が周りに見られることはない。安心して音楽に乗れる。ライブで音楽を聴く時の集中具合に似た感覚だ。

 そして30分ほど音楽を聴く。流す曲は思い付きだ。周りの環境がどう影響しているのかはわからないが、朝だからこの曲とか思ったりすることもある。その環境に合わせて音楽を選ぶのは楽しい。grapevineが一番好きだが、SMAPも良く聴く。前回はnakamuraemiのyamabikoを聴いてテンションが上がった。やはりパワーがあって、やってやろうという気にさせてくれる。grapevineはその世界に浸れる。音を大きくしてそれぞれの楽器の音を追いかけていくと楽しい。普段は骨伝導のイヤホンなのでベースがあまり聴こえないが、ベランダでは有線のヘッドホンなので、ベースの音まではっきり聴こえる。

デジタル時計の有用性と15分の価値

 今は充実した生活になっている。時計をアナログからデジタルに変えることで、タイマー機能を使えるようになったことが大きい。自分の行動が何分かかるのかがわかるようになると、隙間時間の活用ができるようになる。また時間の進みが見やすくなったので、やるべきことに集中できるようになった。

 きっと自分はアナログの時計を認識する力が弱いのだろう。もちろん読むことはできるが、頭の中で変換をしないとぱっとわからない。アナログを使っていたのは何となくでしかなかったのかもしれない。

 この時計にすることによって、格段に時間を使えるようになった。家事もできるようになっている。15分でできることをメモに書いて、それを一つ一つ進めているイメージ。15分でできることが意外とあるし、パソコン仕事なんかは短い時間でもだいぶ多くのことができる。

 家事をやると家族との関係も良好になる気がする。時間とお金が足りなくなると、家族の関係が悪くなると思う。もちろんこれは必要条件、これさえあればではない。引き続き楽しい関係が続くよう頑張っていこう。今はうまくいっていると思う。

大きな車と大事な人

 車の購入を考える。嫁さんの車を変える予定はなかったが、よくよく考えると家族での行動にタイムリミットがあることに気づいた。子どもはあと10年もすれば一緒には行動しなくなる。そうすると、家族用の大きい車を購入するチャンス、それをフルに使うチャンスは今なのではないかと思った。子どもが別行動になれば小さな車で大丈夫なので、ある意味最後の機会なのかもしれない。

 うちはメインドライバーが妻である。自分は助手席でという形に収まった。思うに、自分がまだ若いころは「夫の方が運転するに決まっている」という風潮があり、自分もそれにとらわれていた気がする。でも今のこの形で我が家的には全く問題ないし、これをためらわずに人に言うことができている。ちょっとレアケースなのも嬉しい。

 そうやって人からどう見られるかというのにとらわれなくなったのは、自分が年を取ったからなのだろうか。それとも家族がいいならそれが一番と割り切ることができているからなのか。今は家族、特に妻が一番である。一番長い間一緒にいることになるし、いい方は悪いがコストパフォーマンスがいいと思う。妻に時間を使った方が返ってくる気がする。子どもはきっと返ってこないし、自分が与えられた分をその子供にあてるものではないかと思う。おそらく子どもは家から出ていく。でも妻はきっと死ぬまで一緒だろうし、そうであってほしい。ずっと仲良く居続けたいものだ。そのためには、家を大事にしよう。家庭は副業。

書く理由と周囲の目

 まずはブログを書いてみる。今までもこうやって日記を書いていたことがあったが長続きしなかった。続いても3か月ぐらい。でも書いていたころは充実していた気がする。生活そのものが、というより自分が何をやっていたのかが形になっているからであろう。読み返すことはほとんどない。でもそう思う。ゆっくり読み返すのも時間がかかってしまうし。

 日記を書くのは10分と決めた。その間に思いつくままに書いてみよう。10分に決めないと、何を書いたらいいかを悩んでしまう。こんな表現がいいかなみたいに些末なことで文章が出てこなくなってしまう。長い文章を書くのが苦手だ。というより、文章の終わり方をどうすればいいかを迷ってしまう。書いていても話していても思う。

 きっと格好をつけているんだと思う。自分がどう見られたいか、むしろどう見られたくないかをすごく気にしている自分がいる。そんなに自分のことが気にされているわけではないのに。人からどう思われているかをすごく気にしている自分がいる。これはいじめられていた経験があるからだろうか。それとも周りのことを過敏に気にしてしまう自分の傾向だからだろうか。周りのことが気になって自分のことがおろそかになってしまう。周囲の雑音が頭の中を飲み込んでしまう。自分のことを考えるスペースがなくなってしまうというか。

 そんな自分の性質があるので、こういったブログが必要なのかもしれない。自分がどう思っているのか、それを自分一人で書いていく。ここまで書いて、こんなことを思っているのかと客観的に見て驚く。文章を何も考えずに書くと、これだけの量を10分で書けてしまうのだ。驚く。いつも悩んでいる自分は何なのだろう。